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金沢地方裁判所 昭和61年(わ)230号 判決

主文

被告人を懲役二年六月に処する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和六一年三月、金沢大学大学院教育学研究科を卒業し、同年四月、石川県小松市立甲野中学校の教諭となり、数学と保健体育の授業を担当するほか、二年三組の学級担任をしていたものであるが、同学級に在籍していたAが、学習意欲に乏しく、学力も劣っているばかりか、遅刻や忘れ物が多いなど基本的生活習慣も身についていないうえ、虚言癖もあり、家庭的には同人の母親が病気で入院していたこともあって、自分がいわば親代わりのつもりで、同人が他の生徒と一緒に学校生活を送れるように指導しようと考え、同年五月は毎日、同年六月は週三回の割合で、放課後同人を残して数学の補習をし、あるいは同人の父親に子供との接触を増やすよう持ちかけるなど、その指導に努力していたが、その効果は必ずしも芳しくなかった。

被告人は、同年七月一日、右Aに対し、そのころ頻繁に忘れ物をしていたことから、明日は忘れ物をしないよう言い聞かせて、その旨約束させ、もし忘れ物をすれば殴る旨言い渡したが、翌二日、同人が遅刻したうえ音楽の教科書や笛等を忘れて登校したことから、昼食後、同人を職員室に呼んで、遅刻や忘れ物をしたことについて問い糺したところ、同人が嘘の弁解をしたので、自分が本気で怒っているという態度を見せて同人に真剣に反省させるため、前日の予告どおり同人を殴打することを決意し、同人に対し、忘れ物等その日の反省すべきことが五つあることを告げて「五発叩くぞ」と言い、同人を伴って宿直室へ行った。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和六一年七月二日午後一時五〇分ころ、石川県小松市《番地省略》所在の甲野中学校宿直室(和室)において、A(当時一三歳)に対し、前記のとおり忘れ物等をしたことにつき反省させるため、いわゆる往復びんたを五回するつもりで、「約束やから殴るぞ」と言って、平手でその顔面を殴打しようとしたが、同人が顔を引いてこれを避け、鼻先をかすめるだけとなったため、自分が同人のためを思ってこれまで真剣に指導してきたのに、その気持がわかってもらえない悔しさと、もっとしっかりしてほしいという気持を込めて、「これは教科書の分やぞ」などと言いながら、同人の顔面に平手で四回往復びんたを加え、これに対する同人の反応から、少しやり過ぎたと感じ、そのうしろめたい気持ちを取り繕うとともに、同人にもう少し反発心を持ってもらいたいという気持から、「かかって来い」と言って同人を促し、正面から弱く押してきた同人の右手首を左手でつかみ、右手を同人の左側腹部に当て、右足を同人の右足前に置いて、左手を引きながら体をひねって柔道の体落としのような形で同人を投げつけ、畳上に転倒させてその後頭部を打ちつける暴行を加え、よって、同人に対し頭部打撲に基づく硬膜下血腫、脳挫傷等の傷害を負わせ、同月五日午前八時三分ころ、同市相生町一〇番地所在の小松市立総合病院において、同人を右傷害により死亡するに至らせたものである。

(証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二〇五条一項に該当するので、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役二年六月に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、(1)被害者には脳血管の先天性走行異常があり、これが、その死亡原因となった硬膜下血腫に影響を与えた可能性が存するから、被告人の行為と被害者の死亡との間には相当因果関係がない、(2)被告人の行為は、教育上の指導措置の一環としてなされた正当な行為であって、違法性がない旨主張するので、以下検討する。

一  被告人の行為と被害者の死亡との間の因果関係について

関係証拠によれば、被害者が、判示のとおり被告人から投げつけられたため、畳に後頭部を打ちつけ、その頭部打撲に基づく硬膜下血腫、脳挫傷等の傷害を負い、その傷害が原因で死亡したことは明らかである。

たしかに、被害者の右前頭葉に先天性血管走行異常が存在したことは認められるが、証人Bの当公判廷における供述及び同人作成の鑑定書によれば、被害者の硬膜下血腫は、頭部打撲により生じたものであり、その出血部位は、右側頭部から頭頂に近い部分の架橋静脈と推定され、右先天性血管走行異常のある部分ではないこと、右異常は血管の走行状態の異常であって、血管壁が破れやすいという類の異常所見はなかったことが認められるから、被害者の頭部の先天性血管走行異常が、右硬膜下血腫の発生に影響を与えたとはいえない。また、被害者の脳挫傷が、先天性血管走行異常の有無とかかわりなく、頭部打撲により生じたことは明らかである。そして、畳上で転倒した場合であっても、右のような傷害を負うほどの衝撃を頭部に受けることがあることは、通常人においても予見することは可能である。

したがって、被告人の行為と被害者の死亡との間に相当因果関係が存することは十分認定することができる。

二  正当行為の主張について

まず、被告人が被害者の顔面に往復びんたを加えた行為についてみると、これは、判示のとおり、被告人が被害者に反省を促す意図のもとになしたものであり、これが教育上の指導措置としてなされたことが明らかであるが、たとえ教育上の指導のための行為であっても、体罰が許されないことは、学校教育法一一条に明記されているところであり、被告人が被害者を殴打した行為は、往復びんたを手加減することなく四回加えたというものであって、このような暴行を加えることは、その意図の如何を問わず、同法条にいう体罰にあたると解されるから、これが違法な行為であることは明白である。

つぎに、被告人が被害者を投げつけた行為についてみると、その際、被告人が被害者に反発心を起こさせようという意図も有していたことは判示のとおりであり、被告人の被害者に対する平素の指導態度に鑑みると、これも教育上の指導のためになされた行為であるという面を有していることは否定できないが、被告人が被害者を投げつけたのは、判示のとおり、それまでの殴打行為がいささか度が過ぎたと考え、そのうしろめたい気持ちを取り繕ったうえ、被害者に対する体罰をいわば締めくくるためであって、右行為も、殴打行為と密接な関係にあり、体罰の一環としてなされたものと認められるから、違法であるというべきである。

したがって、弁護人の前記主張は理由がない。

(量刑の理由)

本件は、中学校の教師がその担任する学級の生徒に体罰を加えて死亡させたという事案であるところ、本来、学校教育は教師と生徒との信頼の上に成り立ち、教師は生徒を保護すべき立場にあるものであるが、こともあろうに、その教師が生徒を死亡させたものであって、本件が教育界のみならず社会一般に与えた衝撃は大きいこと、生じた結果が重大であることはいうまでもなく、信頼していた担任教師によってわずか一三歳で命を奪われた被害者の無念さ、その両親の悲しみの深さは察するにあまりあることなどに鑑みると、被告人の刑責は重大である。

しかしながら、被告人は、教師に憧れて、大学院で教育学を修めた後、新任教師として情熱をもって教育現場に臨み、何かと問題の多かった被害者に対し、大きな熱意を傾けてその指導に取り組んでいたのであり、その教育的熱意から出た行為が結果的に本件犯行となったものであって、本件は、いわば被告人の熱心さが招いた被害者及び被告人の双方にとって不幸な事故であったこと、被害者の遺族と小松市との間で示談が成立し、被告人からも別途見舞金等として合計一五〇万円を支払ったこと、被害者の父親は、捜査官に対し、被告人を恨む気持ちはなく、本件で被告人が教職を去らなければならなくなるのはかわいそうだと供述するほか、当裁判所に、寛大な処分を望む旨の嘆願書を提出し、被告人を宥恕していること、被告人は、本件により懲戒免職され社会的制裁を受けていること、被告人が、本件を深く反省し、毎月命日には被害者の仏前に参るなどして被害者の冥福を祈っていることなど、被告人のために斟酌すべき事情も存するので、以上の諸事情を総合考慮し、被告人に対してはその刑の執行を猶予することとして、主文のとおり量刑した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 角田進 裁判官 楢崎康英 倉田慎也)

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